最近の音楽世間を騒がせている水曜日のカンパネラ。
ネットでググってみると嫌いとの声も多い。
しかし、そんな風に言われてしまうということは逆に売れてしまった証でもある。ある意味名誉なことだ。
そういう筆者もテレビ映りの良い売れ線アーティストは十中八九嫌いである。
だから売れ線をディスることなど容易い。
水曜日のカンパネラは嫌いではないし、僕の目線ではコムアイはお洒落女子という位置付けにいる。以前このブログでも取り上げているし、ひいき目な目線で「水曜日のカンパネラ嫌い」ということについて検証してみようと思う。
ドリーミーなおっさん達がつくっている世界観
おそらくコムアイ本人が作詞というクレジットがあるだけでこの事件は解決する。
あのメルヘンチックというかドリーミーな歌詞をオジ様たちが作詞しているというのは有名な話である。
作詞をしているのがコムアイではなくオッさんであるとわかっただけで、私たちオッサンの心には「共感してはいけない!」という拒絶にも似たブレーキがかかる。
私はこの曲の後半の歌詞である”糸、マユ、ハネ、幼虫 to 成虫”のあたりが好きだ。答えは単純に可愛いからだ。とくに囁くように”ハネ”と言っているのが可愛い。
何故それを聴いたあとに、オッサンの顔が浮かんできそうになるのを頭の中で振り払うのに必死にならなければならないのか?
それはオッサン達が曲を世に送りだすときのクレジットに対する配慮が足りなかったせいである。
大人の事情もあるのだろうが、嘘でもいいから作詞のクレジットをコムアイにしていれば私たちオッサンもガッカリする必要がなかったはずである。
キューバに行った理由はどうした?
個人的に気になることがある。
私はコムアイと友達でもなんでもないので本人から聞いたわけではないが、コムアイがまだ高校生だった頃にキューバへ行ってきたらしいということも以前の記事で書いた。
その理由というのも「大量消費や資本主義に嫌気がさした」ためらしい。
なのに大人たちが創り出した枠にハマりこんでしまい、消費させる側にまわってしまったことがオジさんは悲しい。
キャリーパミュパミュとかは誰が見ても大人の創り出した世界ということがわかりやすいし、誰もそこまで期待していない。水曜日のカンパネラに関しては期待が大きかったのだろうか?
最近の音楽チャートはオジさん達が作りだした世界で溢れかえっている。
この何年もそのパターンが続きすぎてアイドルファン以外はとっくに飽きてしまっているのだ。
音楽性は違っても蓋を開けてみれば同じこと。アーティストだったら自分でやってなんぼだろ?(もともとは3人組だったらしいけど)
所々が不完全で隙がいっぱいあるのだ。もともとそれが良い部分なのかもしれない。
全体的にいい感じで適当というか、コムアイもお人形サンではなくて人間らしい。
個人的に水曜日のカンパネラはただのテクノポップだとは思っていない。本来のテクノやハウスをつかったサウンドをお茶の間に届けていることに対して、むしろ貢献している存在だと思っている。
wikiにはHIP HOPと書いているけど。。